ハガッチ(ラフルー)の独り言

ハガッチ(ラフルー)の思考のゴミ捨て場

部活について思うこと

 

 どーも、ハガッチ(ラフルー)です。
 最近花粉が飛び始めて困っています。栃木の足利で山火事があって結構大変なことになってましたけど、あれでスギ林がやられたら良かったのに…、と思っています。
 いや花粉症って何もいいことないですよ。鼻は出るし目は痒いし頭は重くなるし、とりあえず最悪です。黄砂とかPM2.5もそこそこ大きな問題ですが、日本政府はさっさとスギの人工林をどうにかしてください。

 

 さて、今日は普段SNSで呟けないことの1つである「部活(体育会系)」について触れていこうかなーと思っています。
 まず「なんでSNSで呟けないか」ということですが、SNSではもう部活同期や先輩と繋がってしまった、というのがあるんですよね。繋がっちゃった以上その方達にも投稿が見られるので迂闊にモノを言えなくなった、けどまぁ色んな思いも溜まってくる、あーどうしよう、という感じです。
 SNS複数アカウントを使い分ければいいという考えもあると思います。

 ごもっともです。

 でも自分はSNSを1つの雑多なコミュニティだと捉えがちで、複数アカウントの管理が苦手なんですよね…。まぁそのせいで中高の同期、浪人同期、大学の同期、部活、その他を今のアカウントでごちゃ混ぜに管理してしまい、収集がつかなくなってしまったんですが……。しかし一方でこれから新しくアカウントを作るにしてもどう繋がりを広げていけば良いのか分からず、そのまま使い続けている……。一応8年間使い続けているアカウントなんですが、もし8年前に戻れるとしたら「アカウントの使い分けもしておけよ」と過去の自分に言いたいです。

 

 で本題の「部活(体育会系)」なんですが、今回取り上げるテーマとしては

「なんで部活ってやるの?」

になります。

 部活、特に中学だと半強制的に入れさせられるところもあったりしますよね。自分の中高もそうでした。そのうち運動ぶは大学になるといわゆる「体育会」に格上げ(?)されるわけですが、入ってみたはいいものの「なんでこんなに部活/体育会で必死に活動しなきゃならないんだろう…」ってモチベーションが下がってしまうこともあると思います。

 2020年度はコロナ禍でまともに部活をすることができなかったり、そもそも入部したりする期間がなかった、という方もいると思います。自分は2019年度に大学に入学したので幸いにも1年間はコロナ禍以前の活動を経験しているわけですが、2020年度のコロナ禍で一旦部活から距離を取ってみて、「なんで部活続けてるんだろう……。他にやりたいことあるのに……」と色々考えたので、その整理の一環としてこの記事を書きたいと思いました。

 ちなみに今自分は部活をやめるかやめないか考え途中であることをあらかじめお伝えしておきます。多分5月くらいまでには続けるか退部するか決めると思いますが…。

 

 

1.部活とは

 

 さて部活ってなんでしょう。その答えを導くには日本の学校教育から考えていかないといけないかもしれません。

 主観ですが、日本は典型的な「集団が大好き」な国家です。異論は認めます。でもここでは一旦そうさせてください。

 何が言いたいかというと、日本の学校教育では体育祭や文化祭といった行事、掃除や給食といった教室管理など、団体で行うイベントが結構あります。それは「団体で行うからこそ学べることがある」という日本風の考え方に基づいています。「村八分」「付和雷同」「罪の文化、恥の文化」なーんてことを言ったりもしますが、簡単に言えばムラ社会がベースとなっている日本において昔から集団の中でうまく立ち回ることはとても重要で、それが教育にも反映されてきたという形です。そして教員免許を取る際に履修しなければならない教職課程の中にはこういった課外活動の時間に関する講義も含まれていたりします。

 それに付け加えて日本は「大和魂」「気合があれば」なんて言葉がいまだに使われる、根っからの根性論国家。根性論にもいいところはあるんですが、それが行き過ぎると体罰とかになりますよね。

 そして部活の中でも体育会系というのは集団行動と根性論がうまくマッチしたものになります。つまり、今回取り上げる題材は自分が所属している&知らないことについて憶測で話したくないということから体育会系に限定されますが、部活というのは集団行動と根性論が美化されたものになり、そこではみんなで困難を乗り越えること、絆、青春が賛美されるわけです。一部のアニメキャラが嫌うようなキラキラ感はこれに基づいていたりするんですかね。

 

2.なぜ部活を続ける

 ではそういう部活/体育会を続ける理由ってなんでしょうか。

 当然「そのスポーツが好きだから」「その部活に青春をかけているから」「仲間と切磋琢磨するのが好きだから」など人それぞれ理由があると思いますし、全て肯定されるべき理由だと思います。

 しかし自分が必ず疑問に思うのは「でも君はそのスポーツで将来生きていくの?」ということです。

 おそらくスポーツの世界は受験の世界より苛烈を極めます。受験では1つの学校に数百人、あるいは数千人が拾われます。しかしスポーツではプロ野球Jリーグだと1つのチームに十数人、下部のリーグであっても所属人数を考えればおそらく受験のようにはいかないでしょう。その理由の1つにはスポーツ界が「仕事」として存在しているから、というのがあると思いますが、今回の内容とはズレるので扱わないことにします。

 つまり自分が言いたいのは「そのスポーツで将来食べていく確率はとても低い。スポーツ推薦でなければ尚更だ。なのにどうしてそこまで頑張る? 部活動はあくまで思い出作りの一環ではないの?」ということになります。

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MGP受賞作 佳作『平野由子奈です。』

 自分でも随分冷めた考えだなとは思いますし、不快に思われる方もいて当然だと思います。すみません。

 

 で、まぁ少し考えてみたんですが、部活を続ける理由って「他人の目」「過去の自分の目」があるんじゃないかなと思ったんです。

 少し話が逸れて自分語りになってしまいますが、今年度のコロナ禍や緊急事態宣言で部活が一時期停止になったり、対面ではなくオンラインで行われることがあったりしました。この記事を書いている現在もオンラインで行われていますが、そういう時にSNSで見かけるのは「部活ができなくて寂しい」「早く部活同期と会いたい」と言った言葉なんですよね。

 正直自分はこれを見て驚きました。なんでそこまで部活を好きになれるのか。部活は毎週大量の時間を奪っていくし、疲労等も考えたら活動時間以上が部活によって失われる。その時間を勉強やバイトなど別の活動に回せばもっと生産的なことができるかもしれないのに、その可能性を捨て去ってまで部活を好きになれるのはどういうことか、とか思いました。つまり自分は部活は好きではなかったし、コロナ禍によってなくなってむしろ嬉しかったんですね。

 じゃあなんでそんな人が部活を続けているかというと、

  • 退部することで、一時期でも関わった人に対して後めたい思いをしたくない。関わった人達の目を気にしながら過ごしたくない。
  • 入部して費やした時間が退部により無駄になってしまうのは避けたい。
  • 一度形成されたコミュニティを失うのは悲しい。(既にコミュニティがその部活に限定されてしまっている)

などがあるのかなと思いました。親などに相談したら「それは他人の目を気にしすぎ」「人生の中で数年なんて誤差だよ」と言われたりするのですが、まぁそんな長いこと生きてきたわけではないので、現時点での数年間や関わった人の目って結構大きいんですよね。つまり「恐怖」から部活を続けているってことです。

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化物語』(原作/西尾維新 漫画/大暮維人)35話

 また部活を続けたことで何か得られるんじゃないかっていう漠然とした「期待」も継続の動機になっているのかなと思います。例えばそこで得られるコミュニティが就活や仕事の時に役に立つ可能性はありますし、定年後に旧交を温めたりとかできるかもしれません。まぁでもこれについては部活のデメリットにもなり得て、続けたことによって後になってそのスポーツが嫌いになったとか故障してしまった、特に何の役に立ったわけでもなかった、みたいなことが考えられるので微妙なところではないかなー、と個人的には思います。

 

3.なぜ退部しない

 でもただそれだけの動機から部活を続けるのって結構キツいものがありますよね。せめて本人が納得できる何かしらの目標、例えば「自分はレギュラーになる!」とか「この大会で成績を残す!」みたいなのがあればいいんですけど、それも無しにただキツい練習を続けるのは正直苦行ですし、熱心に活動する部活同期や先輩に対してとても申し訳なくなってきます。

 「部活をやめて勉強などに集中したほうが実績を残せると思うなら、素直にそうすればいいじゃないか。いつまでもグダグダ固執しているのは、それこそ時間の無駄になるぞ」という意見もあると思います。ごもっともです。

 ただなかなか実行することができない理由として「隣の芝生は青い」現象「退部後のリスク」があります。

 「隣の芝生は青い」現象は至って単純ですね。今の状況よりも別の状況や可能性のほうが好待遇に見えてしまうというのはよくあることです。そのため、「ただ自分は現状に甘えているだけなのではないか…?」「もっとキツい状況になってから退部を考えるべきでは…」と考えて、退部に対して二の足を踏んでしまうんですね。

 この思考回路は自分よりも大変な状況を経験している部活同期などを見ているとより加速します。本来ストレスに対するキャパシティは人それぞれなので、「あの人は自分よりもっと大変な状況にいるから、自分は弱音を吐いてはいけない」みたいな考え方はナンセンスなんですが、人間ってそううまく考えることができないようで。結果としてそういうのが鬱とかに繋がる理由になってしまうんでしょうが……。

 「退部後のリスク」というのは、いざ退部して勉強などに打ち込んでみたはいいものの何も実績を残すことができなかった場合の話ですね。部活を続けることは、例え卒部後にそれが何の利益にならなかったとしても、そこで構築されたコミュニティと「やり切った」という個人的な経験・達成感は確実に得られます。退部するということはそれを捨て去って新たな実績を得る可能性に賭ける、いわば博打に近いものです。それで実績を残せればいいのですが、失敗に終わってしまった場合は「退部=コミュニティと達成感を捨てただけ」という構図が完成されてしまいます。「その失敗も貴重な経験だよ!」とポジティブに捉えることができればいいのですが、部活動はその時間消費から当人の人間関係を割と制限してくるものでもあるので、友達が多い人間でもなければ退部後のチャレンジが失敗に終わった時に本人は完全なる「ぼっち」になってしまう可能性が高いわけです。また「今の成績や状況である程度認められているのは部活という制約があるからで、退部した後に全く状況が向上していなかったら…」なんていうのもリスクの1つとして挙げられます。

 こういったことから退部に踏み切れない状況が出来上がるわけです。実際退部をする方って相当なメンタルと勇気を持ってる素晴らしい人だな(皮肉とかの意図はないです)と自分は思ってますし、自分は逆に一層仲良くしたいと思ったりします。彼らにとっては迷惑なんでしょうが……。

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バイオーグ・トリニティ』(原作/舞城王太郎 漫画/大暮維人

(ところで、そんな酷い部活はないとは思いますが、退部した人のことを笑ったり悪く言ったりする部活はさっさとやめるべきだと個人的に思います。)

 

3.5 閑話休題

 以前個人的な知り合いの先輩にご相談した時、

「部活を続けることは

『部活以外のことに対するモチベ』+『部活へのモチベ』

          vs

『部活を続けて得られる報酬』+『退部によるリスク』

を踏まえて考えたほうがいい、今の自分がもっと追い込めるのかどうかは考える時次第でいくらでも変わる可能性がある」

というお話をしてもらえまして。

 この時加えて「あー、なるほどなー」と思ったのが、「部活以外のことに対するモチベが本物かどうかは慎重に見極めたほうがいい」というお話で。多分部活へのイヤイヤ期自体は誰にでもあって、当然それを乗り越えて部活にやりがいを見出せるようになるかもしれない可能性もあるんですよね。特に飽き性の人とかは部活のモチベ低下が一時的なものである可能性もありますし。

(自分は小学生〜高校生まで剣道部に所属していましたが、小学3年生の頃はクラブに一時期行かないこともありましたし、中学生の時は試合に全く勝てなくてずっと辞めたいと思っていました。)

 自分の場合は「やりたい勉強が多すぎて、正直やりがいや目標をあまり見出せない部活を削りたい。大学一年の時に講義で扱った学問も当時は興味を持てたが、あまり時間が割けなくて熱が冷めてしまった。こういうことを避けて、もっと学問にのめり込みたい」という動機があるんですが、勉強に対するモチベって「本当にその学問に対して興味がある」と「パズルゲームとして解くことが好き」の2つがありますよね。前者であれば実績を残せる可能性は高いんですが、後者だと退部してもダラダラと余った時間を浪費するだけになる可能性が高いんじゃないかなと思います。でも自分がどちらなのか見極めることって結構難しくて、だから多少時間をかけて慎重に見極める必要があるんですよね。

 

4.続けることの苦しみ

 まぁそれでも少し苦しくなる時というのはありますよね。

 自分語りばかりになって申し訳ありませんが、自分は別にストレス耐性が高いわけではなくて、おそらくただ「ストレスを直視しないようにする、忘れるのが上手いだけ」の人間なんですよね。そのせいか「お前は部活辞めなさそうだから安心できる。何も悩みなさそうだから大丈夫だな」と部活関係者から言われると、上に挙げたような悩みが一気に意識上に上ってきて、心苦しくなり悩んでしまうことが結構あります。こういう方、割といるんじゃないでしょうか。

 あと「部活=強くなること」が全体的な目標として掲げられている場合って結構あると思いますが、その目標と自分が思っている目標が食い違っている場合も苦しいですよね。部活って一枚岩であることが求められてたりしますし…。

 自分は手術を考え始めるレベルの側弯症なので正直筋トレは勧められるものではない(ヨガとかピラティスならいいんですが)ですし、体力もあまりないので体力練とか根性練も好きではないんですよね。戦略とか技とかを考えて練習するほうがずっと好きです。そして技術とかを仲間内で高めあっていくことは好きなんですけど、部活に対しては別に勝敗は求めていなかったりします。そうなると「試合に勝つ!強くなる!」っていう目標を掲げている部活同期や先輩方、監督と考えが一致せず、練習してても「なんで自分練習してるんだろう」って一人冷めた感じになって苦しむことになります。

 「じゃあなんでお前体育会に所属するって決めたんだ。アホじゃないのか」って言われそうですが、中高で一緒の部活にいた同期が体育会に入ったから自分(浪人したので1年遅れです)も大丈夫かなと安易に思ってしまった、という感じです。運動は健康維持に重要というのは分かっていますし、中高で体育会系の部活に所属していたあたり運動自体は嫌いではないのですが、大学ではサークルの方が合っていたかも…、と反省しています。まぁでも筋トレ系は正直やりたくないです。側弯ってあまり理解してもらえないので先輩とかに伝えたところで説得力ないですし、上述したように他人の目があって怖いので黙って練習メニューに従ってますが、"部活が関係しているのかは不明"ですが本当のこと言うと少しずつ悪化してるんですよね…。

 あ、あとあれですね、部活仲。自分の中では”良い部活”は強さ以前に「部活仲が良く退部者が出ない」という定義があるんですが、いかにも仲良さそうな部活や文武両道を体現していそうな部活であっても、それが厳しい練習という篩にかけられた結果である、つまりある種の自然選択の結果であるということが分かるとなんか欺瞞なんじゃないかな…と感じてしまいます。(いわゆる生存バイアスってやつです。成功者が語ってもあまり意味ない、みたいな類のもの。)その欺瞞で新入部員を勝ち取るのがなんか申し訳なくなってきます。

(自分が知り得る範囲で、所属していた中高の部活では自分たちの代より1つ下からは退部者が出ていなかったと思うのですが、個人的にはそれを誇りに思っています。)

 

5.入部に関して思うこと

 ちょっと話は変わりますが、その「入部」についてです。

 大学では体育会の活動頻度は高校よりも多くなる可能性があります。それはいわゆる「進学校」で部活動が活発でない学校出身の方ならかなり感じることになると思います。そうなると勉強との両立も難しくなってくるかもしれません。今年度の大学1年生は部活動やサークルに入る機会が少なくとても窮屈な思いをしたかと思いますが、逆にその分勉強をベースとした生活リズムの構築や、次第に対面での活動が始まるにつれて生活リズムに沿った無理のない部活/サークル選びをすることができたのではないかと思います。つまり部活やサークルを嫌いになる確率は低いんじゃないかなと。

 どういうことかというと、新歓の時って大抵どの団体も甘やかしてより多くの新入生を確保しようとするんですよね。それは別に悪いことではないと思います。新入部員確保は部の存続にも関わりますから、やって当然のことです。ただタチが悪いのは、そこで騙す可能性があるということです。実際の活動時間はもっと長いのに、練習日はもっと多いのに、新歓などではわざと部活時間を短く伝えたり、限定的な情報のみ伝える。実態は新歓が終わってから判明する。しかしその時にはもう「他人の目」があって抜け出せない。そうすると勉強との両立ができない、どうしよう、なんていうのはザラにあると思います。

 これには新歓や仮入部の期間がどうしても影響していると思います。入学してから1・2ヶ月のうちに入部を決めないといけない分、バイトや勉強などで他の生活リズムが決まってない可能性が高いんですよね。どうにかして全体の新歓の時期を変更できないかなぁ、と個人的には思ったりもします。

 

6.最後に

 なんかまとまりがなくなってきたので一旦終了にしようと思いますが、部活って続けるの難しいですよね。だからこそ今でも「就活で有利になる!」みたいなことが言われたりするんでしょうか。(でもそれってただブラック企業耐性がついただけじゃ…。) 

 でも部活はやたら賛美されるべきものなのか、何も思ってなさそうに見えて結構モヤモヤしたものを抱えている人はいるんじゃないか、思考停止して続けるべきなんだろうかって問いかけは多くの人に共有されていいものではないのかな、と思います。転職や副業も普通になってきた時代ですし、部活についても「最初に決めた部活を貫き通す」なんて古風な考えは捨て去って、もう少し気軽に所属を変更できるか、あるいはもう少し長めの仮入部期間を設けていただける雰囲気ができていいんじゃないでしょうか。

 まぁ常に後悔の無いように本人が試行錯誤し続ける必要性は依然としてありますけどね…。

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進撃の巨人』(諫山創)6巻

 

 長文にはなってしまいましたが、この記事を読んで共感なり異論なり何かしら思っていただければ幸いです。

 

 

6.5 個人的なこと

 一応自分としては春休みを利用して勉強と部活をどこまで両立させられるかー、というのを今やってみています。元々大学には「もっと面白い学問に出会う」「学問面で刺激を受けられる方と繋がる」という目的で入学したこともありますし、ある程度勉強を進めて春休み中には研究室を訪問させていただきたいなーと思い、(オンラインではありますが)部活がある中でどこまで勉強の進捗を生むことができるのかを確かめている感じです。そこで割と両立できることが分かったら部活を続けるかもしれないですし、もっとやりたいけど削れる時間がないとなったら部活をやめるかもしれないです。そのための証拠集めが今の春休みという感じですね。

(途中でグダってしまうこともありますし、自分より強いB1や同期が学問で進捗を生んでいるのをSNSで見ると「あぁ、やっぱり自分は学問に集中しても大した実績残せないんじゃ…。だったらやっぱり部活を続けた方がまだいいのでは…」みたいに思ったりもします…。また部活を続けるかどうかで一晩眠れずに悩み、その結果部活やミーティング前に寝落ちしてしまって遅刻、自己嫌悪が増すといった悪循環にも陥りがちです…。)